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文化観光

鶏龍軍文化祭 観光名所

鶏龍山

鶏龍山

鶏龍山は遠くから見れば平凡な山とそれほど変わりない。しかし、そこに行ってあちこちに隠された美しい谷間や岩や木を見回すと、その山の神秘さと美しさに魅了される。

鶏龍山の最高峰は845.1mでそれほど高い山ではないが、山並みが秀麗で自然石がふんだんにあり、すでに三国時代から百済を代表する名山で知らされ、統一新羅時代には全国5大名山の一つである西岳と呼ばれた。

鶏龍山は古代以来、宗教・文化的な聖所として発展し、時には政治の首都地として議論されたりもした。近来に至っては伝統文化の遺産を土台にした観光地域として脚光を浴びている。

鶏龍山天鳳峰

鶏龍山天鳳峰

鶏龍山の主峰である天鳳峰は高さ845.1mで他地域の山と比較するとそれほど高い山ではないが、市内から見るとさっと額につくようにそびえ立っていて雄壮さを感じることができる。

天鳳峰は四季の変化が激しく自然の神秘を感じられると共に、雄壮な峰の上に朝のきらびやかな太陽が昇ると、見る人の胸に勇気と希望を与え、新年元日の日の出行事が毎年開かれている。

天鳳峰を中心にして東は冠岩山甑峰などが、西は香積山国師峰が囲んで山と丘が屏風のように囲み、渓谷ごとに澄んだ水が谷をあふれるように流れていて、ここが最も住み良いところである十勝地に選ばれたことが推測できる。

※軍事保護区域で出入制限地域である

香積山国師峰

香積山国師峰

鶏龍山東側の峰で海抜574mで、鶏龍市奄寺面と論山市上月面の境界を成している所。

鶏龍山に向かって左に連天峰の稜線、右には天鳳峰の稜線が壮観をなす鶏龍山をよく眺望できる所でもある。頂上には天地創運碑があり、中腹には後天開闢の原理である正易を著述した一夫金恒先生が勉強したという亀岩があるが、そのそばに国師峰道場草堂を建てて弟子に正易を講論したという。

天馬山

天馬山

金岩洞鶏龍市庁の裏山にある天馬山は頂上に立つと、鶏龍市金岩洞の新市街地を一目で見下ろすことができ、西南側は百済階伯将軍の忠魂が宿った黄山ボルが遠くに見える。

また、西側の麓には高麗の王健が天の助けで後百済を滅亡させて高麗を建てたという開泰寺を見下ろすことができ、山の頂上には天馬亭という亭があって眺望が良い。

槐木亭

槐木亭 VR panorama

鶏龍市龍洞里にある由緒深い公園で、昔、人の多い所を避けてきた人々がこの近所に定着して住んだという。

彼らはここに座って神仙客の話をした後、木を選んで植えはしたが、無造作に地面にさした木は全部エンジュだったことから、エンジュが多くて槐木亭というと伝えられている。

また、李太祖が新都安を都に決めて周辺の情勢を見回していると、無学大師がここを通って杖をなにげなく差したが、これが木になって今まで生きていて大きなエンジュになったともいわれているが、そのエンジュが亭のような役割をするとして槐木亭というと伝えられている。

柱礎石

柱礎石 VR panorama

李成桂が朝鮮建国後、鶏龍山南側の新都安を遷都候補地に定め、1年余りの間多くの人々を動員して宮廷工事のために木材と石材などを運んだが中断した。中断理由は鶏龍山新都安は国土の南側に偏っていて近くに漕運や用水が不便で、風水上、旧王朝高麗開京と似ていて新王朝に不利だという京畿道観察使河崙の建議により中断して漢陽に新都を移した。

このとき、宮殿の場所に礎石に使うために持ってきた柱礎石115個が残っていて、1976年忠清南道地方文化財に指定・保存されている。

※軍事保護区域で出入制限地域である

雄龍湫

雄龍湫

新都安面夫南里宮殿の場所から西方に渓谷に沿って2㎞程度行くと、高さ10mの滝の下の花こう岩の中に4m程度の深さの水溜りがあるが、ここが雄龍湫である。

鶏龍山の西側にあることから西龍湫ともいい、伝説によれば昔、雄竜が住み、修業に励んで昇天した場所だと伝えられている。

雄龍湫・雌龍湫の名称は形状から起因した名称であり、雄龍湫の場合、滝から落ちる水と水溜りの形が男性の性器に似ている。このような理由で雌・雄龍湫は性器崇拝思想とも深い関連があって、子供を望む人々がここで願いを祈ったと伝えられている。

※軍事保護区域で出入制限地域である

雌龍湫

雌龍湫

東に九龍官舎上方の帝釈寺前の渓谷には幅12m、深さ2.5m程度の岩ででいた水溜りがある。

ここが雌竜が修業に励んで昇天した場所だという伝説が宿る雌龍湫で、東側にあることから東龍湫ともいう。

雄龍湫と同じように雌龍湫の名称は形状から起因した名称であり、広い岩に水溜りができて、きれいな水が溜まっている形が女性の生殖器を連想させる。

この龍湫に入れば青黒い水に心を尋ねてロウソクの前で柔順に万福を祈った昔の人々の民間信仰の跡(真心をこめた跡)を周辺のあちこちでいまだに見ることができ、竜が昇天したという伝説と共に、祈福信仰的な姿は新都安地域の宗教的な脈絡とつながりがあるということを察することができる。

※軍事保護区域で出入制限地域である

沙渓古宅(隠農斎)

沙渓古宅(隠農斎) VR panorama

朝鮮中期の礼学の泰斗である沙渓金長生先生が癸丑獄事によってここに帰郷した後、残った余生を尤菴宋時烈,、同春堂宋浚吉、草廬李惟泰、慎独斎金集など、当時にわれこそはと思う後進などを養成して晩年を送ったところで、朝鮮中期(1602)に建設された建物で3千坪余りの広い敷地に10余軒の瓦の家と庭園、池がある光山金氏の宗家で古木が多くて古風だ。

沙渓松風の道

沙渓松風の道 VR panorama

沙渓は朝鮮中期の学者・文臣で、李珥の弟子であり宋時烈の師匠である朝鮮礼学の泰斗金長生(1548~1631)先生の号である。

沙渓松風の道は沙渓古宅(隠農斎)から始まって旺垈山入口(0.2km)→摹遠齋岐路(1.0km)→旺垈山頂上(1.5km)→eピョナンセサン@入口(2.5km)→豆渓寺入口(2.8km) →沙渓古宅(隠農斎、3.0km)のコースで計1時間程度かかる登山路だ。

気持ちよい風と温かい日にあたりながら沙渓先生が歩いた道を歩くと、昔の正統性理学の歴史的気概と気が感じられながら、現在と過去が行き来する時間の中を旅しているようだ。

鶏龍台統一塔

鶏龍台統一塔

新都安面夫南里の鶏龍台営内に位置した高さ36mの雄壮な統一塔は、我が国軍の忠・義・智・仁・勇の旗じるしの下、一つになって鉄の塊のように国家を保衛して勝利の栄光を勝ち取り、我が民族の繁栄と躍進を保障するという意味を持っている。

統一塔の周辺には戦闘機、戦車などの武器を展示し、来訪客の安保教育の場として活用が期待されている。

※軍事保護区域で出入制限地域である