Skip to content Skip to the main menu Skip to the left menu

文化観光

鶏龍軍文化祭 観光名所

李深源忠臣旌閭懸板

李深源忠臣旌閭懸板
  • 所在地:忠清南道鶏龍市金岩1路10/li>
  • 指定番号:忠清南道文化財資料第338号(1995.3.6)

朝鮮初期の忠臣である李深源の旌閭懸板である。李深源は孝寧大君の曾孫で学識と文章に優れていた。成宗のとき、任士洪が国権を自分の思いのままにするのを見て成宗に申し上げ、罷免して遠くに流刑した。燕山君のとき、再び執権した任士洪が甲子士禍を起こすと、李深源と彼の家族は凄惨な災いにあったが、中宗即位後に復元された。旌閭門は正面2間、側面1間の建物だ。旌閭内部に銘旌懸板以外に重修記、旌閭記など4記の懸板がかかっているが、銘旌懸板は2間に分かれて2記がある。本来は奄寺里にあったが、1980年代新都市開発によってここに移された。

念先齋

念先齋
  • 所在地:忠清南道鶏龍市沙渓路5-16(金岩洞)
  • 指定番号:忠清南道文化財資料第316号(1990.9.27.)

念先齋は沙渓先生の後室である順天金氏貞夫人の祭閣である。

1913年度の建物で順天金氏は金宗瑞の7代孫。

幼いころから孝心が強く、沙渓先生が1631年8月3日他界後、主人の三年喪を終えて1634年癸酉年12月9日(享年62歳)に主人の後を追うために絶食して自ら命を絶って孝と熱意の根本になった。光武10年(1906年)4月18日、貞夫人順天金氏という勅命の教旨を受けた。

念先齋は本来小さな祭閣だったが、1913年に現在の建物に増築され、朝鮮末の伝統家屋の形態をよく保存して1990年9月27日地方文化財資料第316号に指定された。

摹遠齋

摹遠齋
  • 所在地:忠清南道豆磨面旺垈2路6-10
  • 指定番号:忠清南道文化財資料第308号(1989.4.20.)

朝鮮成宗のとき左議政を歴任した金国光先生の斎室である。

金国光は世宗23年(1441)文科に及第して官職の道に入り、世祖の即位を助けて厚い信任を得ることになった。『経国大典』の編纂に積極的に参加し、官職は兵曹判書を経て右議政と左議政に至った。

仁祖元年(1623)に建てた摹遠齋は前面4間、側面3間の規模であり、屋根は側面から見ると八の字である入母屋造である。

慎遠齋

慎遠齋
  • 所在地:忠清南道鶏龍市豆磨面旺垈2路43
  • 指定番号:忠清南道文化財資料第379号(2002.1.10.)

豆磨面旺垈里所在の沙渓金長生先生の九番目の息子である金ビ(1613~1699)先生の斎室である慎遠齋は、慎独斎金集とその兄弟たちが1632年に建設して彼の祖父および父親である沙渓先生の著書などを整理・執筆した所で、慎独斎の死後、彼の一番下の弟である金ビが黄岡行状および実記、沙渓、慎独斎全書などを整理・執筆した由緒深いところである。建物は朝鮮中期の伝統韓式木造瓦家で形成されている。

隠農齋

隠農齋
  • 所在地:忠清南道鶏龍市豆磨面沙渓路122-4
  • 指定番号:忠清南道有形文化財第134号(1990.9.27.)

沙渓金長生(1548~1631)先生が住んでいた古宅で、彼の息子慎独斎金集と尤菴宋時烈,、同春堂宋浚吉などの後進を養成した所である。朝鮮中期頃に建設されたこの建物は、正面4間、側面1間、軒、寄棟造を成している棟上形式の家で、後苑は昔の庭園風の広い庭園と池があり、その周囲にエンジュが茂っていて、春ツツジが満開になると多くの探訪客が訪ねてくる。入口左側にわらぶき屋根の門屋があり、前面は松林が茂っている丘があり、古宅周辺を囲んでいてこぢんまりした雰囲気を造成し、歴史・文化体験学習場として学生たちが活用している。

新都安の柱礎石および石材

新都安の柱礎石および石材
  • 所在地:忠南鶏龍市新都安面夫南里1
  • 指定番号:忠南有形文化財66号(1976.06.09.)

朝鮮王朝を建てた太祖李成桂が同王2年(1393)ここ新都安の地理的形勢が非凡であるのを見て、新都の候補地に決めて国道建設工事をするために石材などを運んでいる途中、ここは水運がないという風水地理説によって工事を中断した。ここに残っている石材はたいてい直径1.2~1.8mのもので宮廷建築用の柱礎石と推定されている。